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モリス郡()は、アメリカ合衆国カンザス州の中央部東に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は5,923人であり、2000年の6,104人から3.0%減少した〔Quickfacts.census.gov - Morris County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はカウンシルグローブ市(人口2,182人〔American FactFinder - Council Grove, Kansas - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市でもある。 == 歴史 == == 19世紀 == モリス郡はコー族インディアンが昔住んでいた地に設立された。開拓者がコー族の土地に侵入するに連れて、開拓者とコー族の関係は不穏なものになっていった。 1825年、ヨーロッパ系アメリカ人によってカウンシルグローブの町が設立され、サンタフェ・トレイルの重要な物資供給基地になった。この町は、1845年にはジョン・C・フレモントの遠征隊の宿営地にもなり、また1849年には陸路郵便が供給本部を置いた。 モリス郡は1855年にワイズ郡として組織化された。この郡名はバージニア州知事ヘンリー・A・ワイズに因むものだった。1859年、ワイズがハーパーズ・フェリーで奴隷制度廃止運動家のジョン・ブラウンの処刑を宰領したとき、奴隷制度廃止運動の支持者達が、元オハイオ州選出のアメリカ合衆国上院議員で奴隷制度に反対していたトマス・モリスに因んで郡名を変えた。 1851年、メソジスト教会がモリス郡にインディアン伝道所を設立した。30人のコー族少年が1854年までそこに住み勉強をしたが、コー族はこの年オクラホマ州に移住させられた。 1877年から1879年、ベンジャミン・"パップ"・シングルトンは1846年に自由を求めて逃亡した奴隷だったが、「エクソダスター」と呼ばれる自由人のためにモリス郡で開拓地を作った。数多い家族がレコンストラクション後の南部から中西部での機会とより良い生活を求めて移ってきた。 1887年、シカゴ・カンザス・ネブラスカ鉄道はトピカからヘリントンに至る幹線を建設した.〔Rock Island Rail History 〕。この幹線はトピカ、バレンシア、ウィラード、メイプルヒル、ベラ、パクシコ、マクファーランド、アルマ、ボーランド、アルタビスタ、ドワイト、ホワイトシティ、ラティマーおよびヘリントンを結んだ。シカゴ・カンザス・ネブラスカ鉄道は1891年に倒産し、シカゴ・ロック・アイランド・アンド・パシフィック鉄道に買収された。さらにこの会社は1世紀後の1980年に閉鎖され、オクラホマ・カンザス・テキサス鉄道に再編され、1988年にはミズーリ・パシフィック鉄道と合併し、1997年にはユニオン・パシフィック鉄道と合併した。地元の人はこの線を「ロックアイランド」と呼んでいる。 1887年、アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道が州内ネバ(ストロングシティの西3マイル (5 km))からネブラスカ州スーピアリアまでの支線を建設した。この支線はストロングシティ、ネバ、ロックランド、ダイアモンドスプリングス、バーディック、ロストスプリングス、ジェイコブス、ホープ、ナバーレ、エンタープライズ、アビリーン、タルマージ、マンチェスター、ロングフォード、オークヒル、ミルトンベール、オーロラ、ハッシャー、コンコーディア、カックレー、コートランド、ウェバーを結びネブラスカ州のスーピアリアを繋いだ。ある時点でネバからロストスプリングスまでの線路は撤去されたが、通行権は放棄されなかった。この支線は当初、「ストロングシティ・アンド・スーピアリア線」と呼ばれたが、後に短縮されて「ストロングシティ線」となった。1996年、アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道はバーリントン・ノーザン鉄道と合併し、現在のBNSF鉄道となっている。地元の人間は現在でもこの線を「サンタフェ鉄道」と呼んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モリス郡 (カンザス州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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